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2月は「北方領土返還運動全国強調月間」です。

北方領土国境線図

2月は「北方領土返還運動全国強調月間」です。
2月7日は北方領土の日
内閣府 http://www.cao.go.jp/index.html

 僕が小学生の頃(40年ほど前)の地図は南樺太や千島列島が白く抜かれていたと記憶してるんですが、最近の多くの地図は、そこがロシア領になっている様です。学校でもそのように教えているなかなぁ? 国際法では、どうなっているのか?
 先ずは歴史を簡単に

・1644年(正保元年)
徳川幕府が松前藩から提出の所領地図を基に作成した「正保御国絵図」に、カラフトは北海道の北に大きい島として描かれている。
・1809年(文化6年)
間宮林蔵、単身樺太に渡り、海を越えて大陸に至る。間宮海峡を発見、樺太が島であることを確認。
・1855年(安政2年)
下田において日本全権(筒井肥前守、川路聖謨)とロシア使節プチャーチン交渉、日露通好条約締結。
1855年(安政2年)の日露通好条約に基づく国境線 1855年(安政2年)の日露通好条約に基づく国境線

・1865年(慶応元年)
岡本監輔は、樺太最北端ガオト岬に至り、「大日本領」と記した標柱を建てる。
・1867年(慶応3年)
ロシアは強大な軍備を背景にペテルブルグの国境会談で幕府に迫り、「樺太島仮規則」を調印。この規則により初めて樺太は日露両国民雑居の地となる
・1875年(明治8年)
樺太・千島交換条約締結により、樺太をロシア領、千島列島を日本領とする。
・ 1905年(明治38年)
日露戦争の講和条約 ポーツマス条約(日露戦争の講和条約)により、北緯50度以南の樺太が日本領として復帰。
1905年(明治38年)のポーツマス条約に基づく国境線 1905年(明治38年)のポーツマス条約に基づく国境線

・1945年(昭和20年)
8月9日、ソ連軍は突如日ソ中立条約を一方的に破棄、南樺太を侵略。
・1951年(昭和26年)
日本は、サンフランシスコ条約(ソ連は不参加)により、樺太・千島18 島を放棄した(一番上の地図になる)。

が、国際法上、放棄した地域の帰属は未定であり、帰属決定の国際会議は開かれていない。
従って、南樺太や千島列島はロシア領ではありません。かつ、北方四島は放棄しておらず 我が国の領土です。

参考資料:
社団法人 全国樺太連盟
泥川を想う


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